試行錯誤ブログ

試行錯誤してます

14.「季節外れの海の家で」

 ふと近所の海へ寄ってみると、2月だというのに営業している海の家のような建物を一軒見つけた。不思議に思って訪ねると、店先の屋根からは風鈴が並び、柱には水着を着てビールの注がれたジョッキを持つ女性が映るポスターが貼られていた。店内は座敷が敷き詰められ、その先のベニヤ板の壁には模造紙にマジックペンで焼きそばやかき氷といったメニューが書かれていた。どこをとってみてもまさしく海の家といった感じだった。

 「いらっしゃい」

 のれんの先からおじいちゃんが出てきた。店主なのだろう。それにどうやら一人で切り盛りしているらしい。いつもなら店員に話しかけられるとすぐ外へ出てしまう私だったが、今日は違った。

 「どうしてこの季節に海の家を?」

 「いつもお世話になっている知り合いに夏好きがおりまして」

 「いつからですか?」

 「もう3年になります」

 話を聞くと、おじいちゃんはたった一人のために冬の海の家を始めたらしい。冬でも夏の気分を味わえるようにと。健気なのか馬鹿なのか、だがその行動力に私はひどく惹かれてしまった。そしてもっと話をしたくなった。だから私は帰省している間、毎日ここに通うことにした。

 おじいちゃんとはいろんな話をした。仕事から恋愛、人間関係についてまで笑い話から些細な悩み事などたくさんだ。やや一方的に話してしまったかもしれない。それでも、例えどんなにくだらない話だとしてもいつも笑顔で聞いてくれた。だから、そのおじいちゃんは地元の友達とはすでに疎遠になってしまった私にとって、新たな大切な地元の友達となった。

 翌年以降もその関係は続いた。おじいちゃんと話をする中で分かったことがある。それは人の不幸話はあまり好きじゃないということだ。特に訃報はとても悲しい顔をする。近所に住むいつもワンピース姿で野良猫に餌をあげていたおばさんが亡くなったらしいという話でさえ、苦く悲しい顔をしていた。申し訳ないことをしたなと思い、なるべく楽しい話をしようと心がけるようにした。

 明くる日、いつも通りおじいちゃんの元へと行こうとした。その道中、瀕死の猫を発見した。車にでも轢かれてしまったのだろうか。ともかく私は急いで動物病院へと運んだ。しかし、医者による懸命な救護活動も叶わず、その猫は力尽きてしまった。猫は亡くなる最後に私を見て、一言鳴いた。その時の姿と声がいつまでも脳裏にこびりつき、いてもたってもいられず海の家へと走り出した。

 海の家に着くと様子がおかしいことに気付いた。人の気配がしない。特に店じまいした様子などなかったのに。もっとも店を開いていたところで誰が来るのだろうか。たった一人のためにお店を経営しているのだから。結局、その日におじいちゃんは来なかった。

 翌日以降も私はお店でおじいちゃんが来るのを待っていた。しかし再会することはなく、一人寂しく水平線を見るだけでその年は去っていった。

 待っているときに考えていたことがある。あの海の家に目的の人が来店したことはあったのだろうか。少なくとも、私と話していた時は誰も来店する人はいなかった。だとしたら私が猫を病院に運んでいるときに来店して、おじいちゃんもそれで満足してしまったのだろうか。そうだとしても、せめて私にもそのことを伝えてくれればいいのに。

 翌年も、その翌年もおじいちゃんは来なかった。だから私は待つことにした。帰省の度にこの海の家でおじいちゃんを待つ。あのおじいちゃんがそうしたように。翌年も、その翌年も私は待っていた。私には待つことしかできなかった。