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51.「007 NO TIME TO DIE:ボンドも喉乾きすぎ」

どうやらジェームズ・ボンドは無類の酒好きらしい。

「007 NO TIME TO DIE」で気になったのはとにかく飲酒シーンが多いことだった。

調べたらイギリスの学者がボンドはアルコール中毒だという論文を発表していた。それにしたって多い。あまりにも気になって何かしら意味があると思い、飲酒シーンの有無および飲酒行為が有る場合にどういったことが描かれたかだけを注目した。その結果「乾杯の有無で関係性を表している」という仮説を思いついた。しかし、この仮説は中盤あたりに思いついたため、前半部分が当てはまるのかどうか、改めてカジノ・ロワイヤルからスペクターを視聴してから再度劇場へと向かった。やはり過去作でも飲酒シーンはあるけど本作ほどではなかったので本作における飲酒シーンの意味を考えてみる。

以下、ウィキペディアほどではないけど飲酒シーン周りのあらすじを記載しまくり。

ただ、所詮2回見た記憶だけを頼りにしているためあまり正確ではない。

 

■ジャマイカのとあるクラブ

なんやかんやあって007を引退して5年、ジャマイカで隠居生活をしているボンドは、とある車に尾行されていることに気付く。運転手を確かめるとそれは旧友であるCIAのフィリックスだった。フィリックスは国務省の役人ローガン・アッシュを引き連れ、ボンドにとある仕事を持ち掛けてきた。どこか内密に話せる場所はないかと聞かれたボンドは騒がしいクラブを提案する。クラブ内でカードゲームを楽しむボンドとフィリックス。その様子を見ながら①アッシュはハイネケンを瓶から直接飲む。フィリックスとのカードゲームが決着し、②ボンドは瓶に入ったハイネケンを飲み干す。机の上にある瓶やコップは空の模様(たぶん)。ボンドは酒を注文するため席を立つ。店員にスコッチを注文するボンド。そこにフィリックスもやってくる。アッシュは信用できる人間かフィリックスに尋ねながら、③ボンドはグラスに注がれたスコッチを飲む。

 

■ジャマイカのボンド宅

結局ボンドはフィリックスの仕事の依頼を断った。クラブから帰宅しようとするも車のエンジンがかからない。どうしようか考えていると、クラブ内でやたら目の合った女性がバイクに乗って通りがかる。ボンドは女性の乗るバイクに相乗りし、自宅へと送ってもらうことに。女性と共にボンド宅へ入ると④ボンドは2つのコップにウイスキーを注ぐ。しかし、女性は颯爽と寝室へ向かったため、手にした1杯を飲み干して追いかける。寝室につくと女性はおもむろにカツラを脱いで実は新007であることを告白する。⑤ボンドは自分のためだけにグラスにウイスキーを注いで飲む。翌日、ボンドはフィリックスに電話をして、依頼された仕事を引き受けると告げる。

 

キューバパロマと待ち合わせ

フィリックスの依頼は、過去4作全ての黒幕であるスペクター一味のパーティに潜入して誘拐された細菌学者オブルチェフを助けることだった。現地でCIAの新人パロマと落ち合うボンド。ボンドと会ったパロマは手にしていた飲み物(瓶?にストローが差してある)を飲み干す。任務の軽い打ち合わせを行った後、⑦2人は「フィリックスに」と乾杯して飲み干す。なんやかんやあってスペクター陣営との戦闘が始まる。⑧ボンドは、ウェイターが運ぶグラスに注がれたドリンクを手に取って飲み干す。敵を一掃後、⑨ボンドはパロマと自分用にグラスに酒を注ぎ、2人で乾杯して飲み干す。

 

■MI6本部

なんやかんやあってボンドはMI6本部に5年ぶりに戻ってくる。元上司的なMにある話を聞くためで、本作の敵は細菌兵器をあるシステムによってばら撒こうとしており、そのシステムは元々Mが携わっている的な感じだったからだ。あまり覚えていない。とにかくボンドは話を聞こうとするが、Mはちゃんと答えない。⑩Mはウイスキーを2回、グラスに注ぎ、どちらも飲み干す(2回目は飲み干したか定かではない)。ボンドは「喉が渇いているようだな」と告げる。

 

■Qの自宅

ボンドは調査依頼をすべく、Mの秘書でありスカイフォールでは任務を共にしたマネーペニーと共に、MI6の兵器開発担当であるQの自宅へ向かう。Qに調査を頼んだ後、⑪ボンドはワインを手に取り、ワイングラスにたんまりと入れてマネーペニーへと渡す。自分用にも注いでいる模様。だが両者とも口にはしてないっぽい(確か)

 

サフィンのアジト

マドレーヌがサフィンのアジトに幽閉されている。

マドレーヌとは映画冒頭でボンドとのバカンスを楽しんだ本作に鍵となる女性。サフィンは本作の敵。マドレーヌの幼少期からサフィンとは因縁がある。⑫マドレーヌは、サフィンの部下に毒草が入った飲み物を用意され、自ら飲めと言われる。マドレーヌはそれを部下の顔にぶっかけて、逃走する。

 

■MI6本部、全員集合

⑬MI6のメンバーが献杯する。

 

作中において飲む行為は11回、飲まない行為は2回、計13回描かれていた。

 

「乾杯の有無で関係性を表している」という仮説を詳細に説明すると、乾杯をしている場合は信頼関係がある。一方、乾杯せず一人だけ何かしらを飲む(飲まされる)場合は敵対関係で、例え同じ組織内であっても嘘を抱えていると乾杯していないというもの。まさにボンドとMが初めて対峙するシーンでは、Mが秘密を抱えているためMしか飲んでいない。(⑩)また、ボンドが新007のノーミとボンド宅で対面するシーンでも、ノーミは変装していたことを隠していた。(⑤)

 

仮説の立証を目的に2回目を見る際、特に注目していたのは以下の2点だった。

1.ボンドはマドレーヌと乾杯するか

007を引退後、マドレーヌとバカンスを楽しむボンド。しかし、その平穏はスペクター軍団の襲来によって崩される。マドレーヌは1,2,4作目に出てきたスペクターの一員であるミスターホワイトの娘であり、いまだにスペクターと繋がりがあって手引きしたのではないかとボンドは怪しむ。マドレーヌは否定するものの結局別れ、5年が経つ。

中盤、スペクターのボスであるブロフェルドにもマドレーヌの関与は否定されるため、繋がりは無いのだろう。しかし、バカンスシーンでもし乾杯してなければ、仮説に伴いマドレーヌは手引きしていたと暗に示していたことになる。それを確認したかった。

本心としては、乾杯していてほしい。最終作にとんでもないものをぶち込んでこないでほしい。

 

2.クラブシーンでフィリックスとは乾杯し、アッシュとは乾杯しない

ボンドが007を引退して久しぶりに仕事の依頼を受けるシーン。テーブル席で3人で話した後、ボンドとフィリックスがカウンターで話していたことは覚えていたので、ここでフィリックスと乾杯しているだろうと予想していた。

中盤、フィリックスは本当に仲間であり、アッシュは裏切り者であることが分かる。それを乾杯で匂わせているのではないかと思った。

ただ、今これを書いている時点で仮説が成り立ってないことに気付いた。「秘密が暴かれる場合は味方であっても乾杯しない」というのは、その場限りの関係性を表している演出であり、「アッシュと乾杯しないことが後々裏切ることを表している」というのは、伏線としての演出だった。

そのシーンにおける関係性を表した演出なのか、後の展開を表す演出なのか定義がそもそも曖昧だった。

 

案の定、2回目鑑賞後、仮説は全然成り立っていないと分かった。

マドレーヌとは乾杯はおろか飲食もせず、クラブシーンでは乾杯はないもののアッシュとボンドが飲んでいた。また、そもそも乾杯シーンが全3回しかない。よくわかんない状態に陥った。

 

飲み物が出るシーンは上述した通り、ほぼ全部書き出したので改めて意味を考えてみる。

 

まず、乾杯シーンに意味はあるのか。

全3回の内、2回(⑦⑬)ではそれぞれ作中のとある人物に捧げられている。そしてその2名とも作中で亡くなっている。⑨の乾杯もスペクターの一味を銃殺した後の乾杯のため、強引に解釈すれば亡くなる人、亡くなった人に向けて乾杯がされている。

まあ⑨は戦闘が一段落したことを祝っての乾杯だろうからたぶん違うけど

 

初見時、ボンドがMに向かって「喉が渇いているようだな」という発言に笑った。散々ボンドの方が飲んでいたのに偉そうだなと言う感じ。ただこのセリフが割と飲む行為の意味を考える上でヒントになった。⑩のシーンでMは緊張しているのだろう。それを隠すために2回も飲み干し、ボンドもそれを指摘する。よって、この映画では緊張している人が飲んでいる気がする。

①のアッシュは秘密の計画を隠し持っているため緊張しているし、②③のボンドは久しぶりの旧友と会って緊張しているのかもしれない。④も5年ぶりだからか緊張しているんだろう。⑤はびっくりして緊張しているのかも。⑥パロマは当然初任務のため緊張しているし、⑦~⑨は久しぶりの戦闘であるボンドは緊張しているし、パロマもド緊張だろう。⑩Mは当然緊張している。ここで「喉が渇いているようだな」が出てくる。このセリフを皮切りに飲む行為は減る。⑪でもワイングラスを片手にしているが、のんではいない(はず)。ボンドも久しぶりの任務を終えて割とリラックス状態になっているからか飲んでいないのかも。⑫もある意味緊張状態ではあるが、そもそも毒が入っているため飲むわけにはいかない。⑬は緊張とか関係ない。

「喉が渇いているようだな」というのは、ここまでの飲酒シーンはどれも緊張故に飲んでいたことを示し、それを提示したことで以降は関係ないよということも表しているのかもしれない。

もうわからない。

 

兎にも角にもキューバでどうしてあんなに飲むのか。過去25作のどっかからの引用なんだろうか。乾杯の有無が関係性を表していてほしかったという勝手な願望が未だ消えない。もしその演出の意図があれば、作為的でフィクションだけどリアルじゃないというよくわからない気持ちは持つかもしれないけど、作品を読み解く上でもいいヒントになるんじゃないかとは思った。でも作品を読み解く上でこういった演出の共通点を見つけるのは違うのかも。キャラに寄り添えてない感じ。キャラを記号化して人間味が薄れるかもしれない。創作時でも、鑑賞時でも、脚本の都合で動かされている印象が強まるかもしれない。キューバの戦闘ではとにかくたくさん飲酒がしたかったんだろう。中々美味いと思える酒が飲めていなかったからかもしれない。

そういえばボンドは女性には酒は注ぐけど男性には注いでなかった。Qに注いでいた可能性はあるけど覚えていない。Qの自宅のワインを飲んでいいかという確認を取ってないようにも思える。勝手にワインを飲むし、Qの分は用意してない・・・?

ボンドもMも相手に飲むかどうか聞かないのかと思った記憶。マネーペニーには聞いていた気がする。分析するにしてもまだ材料が足りてない気がしてきた。

お酒の種類も詳しく知った方がいい気がするし、イギリスでグラスに注ぐ行為に何か意味があるのかも調べた方がいいかもしれない。最近、批評に関する本(https://www.amazon.co.jp/dp/B09G35TPSZ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)

を読んだから真似してやろうとしたけれど、やはりこの本にもある通り、というか当たり前だけどドコトン調べ尽くしてから書いた方がよかった。

でも、この作品についてはもういいかなという気持ちが強いから終わりにする。

気持ちの問題ではなく、とことん調べるクセを付けた方がいいと思うけど。

そんな酒飲むな!