試行錯誤ブログ

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50.「通勤風景」

1.

 会社の最寄り駅の改札はショッピングセンターに直結していて、そこを抜けると大通りに出る。その大通りには街路樹が立ち並ぶ。街路樹の種類はベニバナトチノキといって葉はモミジのように手のひら状に茂る落葉樹で、花はその名の通り紅色で1つの枝に四方八方といくつも咲いている。花が咲く枝は天に向かって伸びているため、緑の中から突然赤い棒が伸びていて、まるで木に潜む天狗が鼻だけ出しているように見えたり、木が燃え上がっているようにも見える。5~6月が花の咲き頃で、これを過ぎると果実が生る。その果実を目当てに鳥が集まってくる。この時期になると注意して歩く必要がある。なぜならこの果実を食い荒らした鳥のふんが大量に散らばっているからだ。

 この大通りは片側1車線ではあるが朝から交通量が多く、信号の手前には喫茶店や本屋などが並び、信号を渡ると中層ビルが林立している。そのため人通りも多い。自社へ行くには信号を渡り、大通りに沿って左へと2~3分ほど歩く。この2~3分の道に大量にそれが落ちている。そして、落ちてくる。

 この道の途中にはちょっとした広場があり、そこには一段と大きな木が植えられている。葉は空を覆うように生い茂っている。どうやらこの木に鳥たちが巣を構えているようで、日が沈む頃に通ると、鳥の鳴き声が鳴り響き、この木へと集まってくる。この時間帯はあまり空から何かが落ちてくる心配はない。問題は朝である。鳥の活動はどうやら日の出に始まり、日の入りで終わるみたいで、そして最初の活動がまさにまき散らす行為のようだ。正直、乾いた状態のものならばそこまで気にしないが、出勤時は割と生乾き状態、もしくは新鮮なものもあるため、この道を通る人はみな、下を見ながら歩いている。坂本九の歌を聞きながらこの道を歩いてしまうと、きっと後で更に泣くことになる。

 問題はこれだけではない。鳥の中にも人間と同じく朝に弱いやつがいるらしく、そういったやつがちょうど通勤時間帯にまき散らしてくる。よって、鳴き声や羽音が聞こえたら上を見る必要がある。なんあら昼頃であっても頭に喰らった人を見たことがあるので、常に注意深くいる必要がある。

 日頃、通勤時には雨に降られたくないものである。しかし、この道を知っている人にとっては喜ばしいものでもある。全て洗い流してくれるからだ。大雨の翌日には、きれいさっぱりとしている。普段、果実の赤みが残った白色の汚れで隠されていた石畳のきれいな紋様が見えてくる。

 通勤して間もないころは若干の嫌悪感があったものの、前の人がべっちょりと踏んだことを確認したり、本当は土に運ばれたいところをコンクリの上に運ばれて目的を達成できなかった果実に思いを馳せたり、季節の変わり目もわかるようになったりと徐々にこうした風景を楽しめるようにになってきた。

中でも多くの人が下を見ながら歩いている風景がいつ見ても不思議な光景で、面白い。

 

2.

 スーツを身にまとったその男は朝から喫茶店でくつろいでいた。どうやらビジネスマンではなく学生で、午前中に面接があるため早々に足を運び準備をしていたらしい。しかし、どうにもやる気で出ないようで、コーヒーを啜りながら外の風景をぼんやりと見つめていた。すると異様な光景を見た。喫茶店の目の前の車道を挟んだ向かい側を歩く会社員がみな、下を向いて歩いているのだ。

 

 名前を込田浩二といって、広告系を志望している。理由は楽しいことをしたいから。世間をあっと言わせるようなモノづくりをしたいらしい。だが同時に働きたくないとも思っている。そんな込田は朝から下を向きながら歩く会社員たちの風景を見て一層働きたくないなと思った。と同時に邪な気持ちが浮かんだ。込田はその風景を撮影し、「みーんな下を見ながら歩いている。だから働きたくないんだよな~」というコメントと共にSNSへと投稿した。

 

3.

 今日も大量の鳥のふんを避けながら出社した杉山は、始業時間までスマホを見ていた。するとSNS上で急上昇しているトレンドがあった。それは通勤風景を映したもので、いろんな人がいろんなことをコメントしていた。その写真をよく見ると、自分らしき男が映っていた。鼓動が速くなるのを感じた。その写真を投稿したアカウントを調べると「コミタコージー」といって、トップ画は男がビーチで遊んでいる写真だった。どうやら本人だろう。杉山はその写真をまじまじと見た。

 遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。振り向くと、上司がそれなりのプリントを持って来て「これ、今日の分だから」と渡してきた。「まじすか」と言いながら受け取った。杉山は少し思い悩んだ顔でプリントを数えようとめくり始めた。途中、とあるプリントに目が留まった。

 

4.

 込田は先ほど投稿した写真が思いのほかバズッたことに喜びを隠せていなかった。これ以上、店内でニヤニヤしていると怪しまれそうだが隠すのがやっとのほどだ。最近ではSNSでバズらせた経験の有無を確認してくる企業も多く、これは大変有利になると思った。多少と言うか大いに炎上しているとは思うが、問題ないだろう。面接の時間が近づいてきたので込田は会社へと足早に向かった。

 

5.

「次の方どうぞ」と杉山が会議室の室内からドアに向かって声を出した。ドアが開く。「失礼します」と込田が部屋へ入ってきた。込田は着席し、簡単な自己紹介を終えた。杉山は怪訝そうな表情で込田を見ていた。杉山は広告代理店であるベニーロ株式会社で働いており、若手社員ながらも優秀さを買われ面接官もしている。今日は3次面接で、面接官2人に新卒1人。杉山とその先輩が面接官を担当している。ある程度面接が進んだところで杉山がスマホの写真を込田に見せながら尋ねた。

「この写真を知っていますか」

込田よりも先に先輩が口を開いた。「何この写真?」と。杉山は今日のトレンド急上昇していた写真ですと答え、込田に返答の催促をした。込田は自分が投稿した写真であることを認めた。顔を赤らめながらも鼻を高くしていて、少し自慢げだった。

杉山は話し始めた。「肖像権と言うものを考えたことはありますか。この写真には無数の人が映っています。一人ひとりから掲載の許可を取ったのでしょうか。また、この写真と共に掲載されているコメントはこの会社員の方々を揶揄しているように思われます。どのような意図で投稿したんでしょうか。お聞かせください」

込田は空気が一変して重くなったのを感じ、取り返しのつかないことをしたかもしれないと思った。どう答えようか迷ったところ、またしても口を開いたのは先輩だった。「この働きたくないなってのは本心なの?」

込田はすぐに否定した。

「だよね、だったら今日の面接も辞退するもんね」

込田は笑って肯定した。杉山が口をはさむ。

「本当ですか?では尚更どういう意図で投稿したんですか?第一、アカウントも個人情報満載ですしまるで情報リテラシーが無いように思えます。認めた際にバズらせたことを少し誇っていたようですが決して誇れるものではありませんよ」
「そうか?」

先輩が遮る。

「確かに未熟な面はあるけど炎上とはいえバズらせたことには間違いないんだし、その点は評価した方がいいだろ。情報リテラシーうんぬんはこれから育てればいいよ。」

先輩は写真を見ながらそういうと、杉山が映っていることに気付く。

「あれ、これ杉山じゃない?」

先輩と込田が杉山を見る。杉山はぶすっとして不満げである。

「馬鹿にされた気分だったからあんな質問したのか。それに遂にお前を脅かす存在かもしれないもんな。お前の投稿よりもバズってんじゃないか?だからか」

杉山は大きくため息をついて、

「いや違いますよ。でも一言だけ。僕が下を向いて歩いていたのは地面に大量の鳥のふんがあったからです。先輩だってわかるでしょ?みんなあの道は下を向いて歩いている。だから出社することが嫌ってわけじゃない。仕事はそれなりに楽しんでる。まああの道を通るのは嫌ですけどね。というかもう時間とっくに過ぎてるので終わりましょう。今日はありがとうございます」といって強引に面接を終わらせた。

込田は結果がどうなるか分からずやきもきはしたものの、無事にやり過ごせたことに安堵して部屋を退出した。先輩はしきりに杉山に本心を尋ねたが、杉山は早々に次の新卒を呼び寄せた。

 

6.

 込田はバズらせた手腕を評価され、杉山がいるベニーロ株式会社への入社が決まった。一方、杉山は込田の入社に伴い、退職することを決めた。そして杉山が退職後に始めたのは、会社の地元にある町内会の人と手を組んでベニバナトチノキの完全撤去を訴えることだった。鳥の被害が年々酷くなり、ふんの被害によって町の景観が損なわれるため街路樹を撤去しようというのが主な理由だった。杉山としては、下を向いて歩く会社員を減らして込田のような思い込みや勘違いによる決めつけバズりが生まれないようにするという狙いもあった。

この町の街路樹がベニバナトチノキとなったそもそもの発端はベニーロ株式会社の企画によるものだった。葉の緑色、幹の黄土色、花の紅色の三色を持つこの木を植えることで町をカラフルにし、また花言葉も博愛・贅沢と言うところもあって、この木を植樹して地元を活性化しようと市議会に働きかけたのが始まりだった。そのため町内会の運動はベニーロ株式会社の大きな痛手となりうるものだった。運動の内容によっては自社が鳥害を生み出した原因になりかねないからだ。入社のきっかけになったこともあって込田は町内会の訴えを取り消そうと、会社内でチームを組織し、中心メンバーとして働き始めた。しかし、その画策は失敗し、「ベニーロ株式会社がベニバナトチノキの植樹計画を立案したこと」「ベニーロ株式会社は町内会の意見を取り下げるように裏工作していたこと」が世間にリークされて炎上し、評判を落とし続けて経営難に陥った。ベニバナトチノキの木の実を食した鳥のふんによって、街の景観が汚されているということを市議会も認識していた。そのため市議会の意向としても、町民会の訴えを受け入れようとしていた。しかし、街路樹をなくすことにも異論はあるため違う木に植え替えるという案に落ち着いた。

杉山の目論見通り、ベニバナトチノキは撤去された。一方、代わりに植樹する木の選定は難航していた。どの木を植えれば鳥害に繋がることを避けられるか分からなかったからだ。また、杉山も暗躍していた。今や杉山は鳥と木への恨みが加速して、世界から両者を失くすことに奔走していた。そのため町からは街路樹がどんどん無くなるばかりだった。街路樹の跡地はコンクリートで固められ、灰色の町と化した。鳥の姿も見えなくなった。

それでも、今日もどこかから鳥の鳴き声が聞こえてくる。杉山が歩くと、たびたび鳥のふんの被害に見舞われる。鳥はすべてを見ていた。どういう人物なのかをよく観察していた。今日も鳥は、杉山を狙ってふんを投下する。それは杉山への復讐であり、また木を増やすためでもあった。かつての景色を取り戻そうと頑張っていた。