試行錯誤ブログ

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54.「2023年に読んだ本」

今年もそれなりに本を読んだ。実際、読書メーターというアプリで読んだ本の記録を残すようになってから一番本を読んだ年だと分かった。正直そんな読めなかったなと思っていなので意外な結果となった。一昨年ぐらいから仕事が多忙となり、趣味に割く時間の抽出が難しくなってきたうえに、今年は私生活においてもぐったりするようなことが起きて、それによってとりあえず土日は一人でいたいと思うようになり、そうなると読書の時間が増えて、結果として一番本を読んでいたのだろう。あまりよくない結果の表れな気がする。年末に近づくにつれ、久しぶりの知人からも誘いが増えるようになり、メンタル休めたいという気持ちを抑えつつ遊びに行くと実際は楽しいし、結果として元気になるので来年は読書の時間を減らして積極的に遊びに出掛けようと思う。

 

実際何冊読んだか計上してみると27冊読んでた。読書メーターは250文字までの制限があるので思いのまま書きなぐろうと感想を書こうと思ったが、去年の後半に読んだ本の感想が下書きのままだったのでそれも書く。

 

『三体X 観想之宙』宝樹

三体の3作目は時間経過が激しいのでその合間に何が起こっていたのか、三体好きの人がその期間の妄想を膨らませて形にした作品。しかし、その三体好きの人もプロらしい。故にちゃんとしているが、本家にはないまた別角度の突飛な展開が満載で面白かった。とはいえ独自のニュアンスが多分に含まれているのでやはり正式なものではないことを踏まえて読んだ方がいいかも。

 

銀河ヒッチハイク・ガイドダグラス・アダムス

交通道路の工事によって立ち退きを求められるのと同じく、宇宙の幹線道路的なものを作るために地球の立ち退き、というか消滅します宣言から始まる話。宇宙の真理は42

 

『爆発物処理班の遭遇したスピン』佐藤 究

変な生物作っちゃってやばいとか、爆弾処理しようとしたけどシュレディンガーの猫的な要素が働いてやばいとか、とにかくいろんなやばいがやばいまま最後までいくので面白かった。

 

『わたしたちが光の速さで進めないのなら』キム・チョヨプ

他人の信念には勝てない

 

『IT(2)~(4)』スティーブン・キング

読み終わった後の達成感がすごい。とにかく登場人物が多いので一度1巻目を読んだ時は覚えられずに諦めたけど、今回は主人公7人のキャラと職業をメモって読んだことで最終巻までたどり着いた。27年前の記憶が呼び起こされるところから話が始まり、最後は全て忘れていく。宮崎駿の「君たちはどう生きるか」との親和性を感じた。思い出は全てなくなるけど、確かに冒険した証である石を持って帰るという描写の分かりやすさがジブリは良かった。「IT」もそう描かれていたかもだけど。

 

ブルデューディスタンクシオン』2020年12月(NHK100分de名著)』岸 政彦

趣味嗜好や恰好は育った環境で決められてしまう的な

 

『殺しへのライン』アンソニーホロヴィッツ

作家であるホロヴィッツ自身が主人公となり、元警官のホーソーンとコンビを組んで事件解決するシリーズ第3弾。今回はシリーズ第1弾の刊行を記念して離島で開かれる文芸フェスに赴いたら殺人事件が起きてしまったという話。相変わらずホーソーンは嫌な奴だけど、それはあくまでホロヴィッツから見ただけであって、他の人とは仲良くやっているという新たな視点も描かれていた。

 

『言葉の展望台』三木 那由他

あるある

 

『三体0【ゼロ】球状閃電』劉 慈欣

三体よりも前に書かれた作品であり、三体と直接的な関係はない。

とはいえ作中では今でいうマルチバースを主に描いており、ある種三体世界ともマルチバースとして繋がっていると言えるかも。

 

そして誰もいなくなったアガサ・クリスティー

普通に面白すぎ

 

十角館の殺人綾辻 行人

本ならではの面白さ

とはいえ漫画化もされているみたいだし、2024年以降にはドラマ化?されるみたい。しかし、本ならではの面白さが表現された作品なので本を読んだ方がいい。

 

『爆弾』呉 勝浩

山手線のどこかに爆弾を仕込んだらしいという真偽不明の情報をもとに犯人と警官がひたすら取り調べ室でやり取りする話。かと思ったらたまに一般人の描写が入る。これがいらなかった気がする。しかし取り調べ室のやり取りもあんまだったかも。

 

『浮遊霊ブラジル』津村 記久子

地獄で働くOL的な話が面白かった。全然違うかもだけど

 

『すべてがFになる』森 博嗣

SEになったことで色々と理解が進んだかも。

面白かった。

 

『ミッキー7』エドワード・アシュトン

人類を代表して危険なミッションに挑むことになったミッキー。基本死ぬ想定なので、コピー人間を作成しておき、死んだら死ぬ直前の記憶をコピー人間に移植して、次なるミッキーとしてミッションに挑んでいく。それを繰り返しながら数多くのミッションをこなしていたが、たまたま生き残ってしまった7人目のミッキーを主人公とし、8人目のミッキーと鉢合わせ内容にする話。それ故のタイトル。

面白そうな設定だなと期待してたけど、あんま面白くなかった。基本、ミッキー8や周囲の人間にバレないようにするのがメインだと思っていたけど、そこで特段手に汗握るような展開もないし、笑うような展開もないのがなんだかなと思った。

パラサイトのポン・ジュノが映画化するらしい。それは楽しみ。映画のタイトルが『ミッキー17』で思いっきり脚色する気満々であり、パラサイトにもあったドタバタコメディテイストがめちゃくちゃ似合うと思うので思いっきりやってほしい。

 

パンとサーカス』島田 雅彦

ディパーテッドもとインファナル・アフェア的な面白い展開が続くけど、終盤はキャラの思想を超えて今の日本の政治に対する作家の主張がひたすら述べられている感じがして冷めた。

 

ダークタワーⅠ ガンスリンガースティーブン・キング

キングが30年近く?かけて創作したシリーズの第1弾。キングが作った全ての作品はどうやらこのシリーズに繋がっているっぽい。とりあえずひたすら追いかけっこしている。

 

ゴールデンスランバー』伊坂 幸太郎

偶然が過ぎるけど面白い

 

『純色幻視行』恩田陸

船上ミステリーテイストで創作論が述べられていた。

とりあえずプロの作家がやっぱすごいなと思った。

 

ダークタワーⅡ 運命の三人 上下巻』スティーブン・キング

森の中をひたすら歩くだけの描写が50pぐらいにかけて描かれたりするけど、なお読ませて来る筆力の高さの凄まじさたるや。

あとファンタジーだと思って読むと、むしろ1950年代や1970年代のアメリカを舞台として描かれるのでなんか面食らった。

 

『モノマネ芸人、死体を埋める』藤崎 翔

発想は面白いけど、発送だけが面白かったなと言う感じ。

 

『日本語の作文技術』本多 勝一

長い述語を先に持ってきて、短い述語を後に持ってくるとしっくりくることを学んだ。

 

『三体』劉 慈欣

改めて読み直すと無駄のなさに驚く。

 

『偽りなきコントの世界』岩崎 う大

かもめんたる目線のキングオブコント振り返り。

 

『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』三木 那由他

理解しやすい。

 

『自意識とコメディの日々』オークラ

当時の企画の意図がたくさん書かれているの助かる。

 

『三体Ⅱ 黒暗森林 上下巻』劉 慈欣

やっぱり最高に面白い。

そして最初に読んだ時は存在する意味の分からなかったシーンの意図もなんとなくわかった。

 

『Day to Day』

コロナ禍当初の2020年4月~2020年7月に企画された多くの作家によるリレー形式の短編集。コラム形式で時事を書いている作品もあれば、完全フィクションで好き勝手に書いている人もいるけど、なんとなく死傷者が2桁に突入して日本中が不安でいっぱいになった頃かなとか、再度緊急事態宣言が発出された頃かと、その時の世間の様子がなんとなく伝わってくるので、ある意味後世にとっては万葉集などと同じ分類としてコロナ禍を振り返る貴重な文献に成り得ると思った。

 

『「つまらない」と言われない説明の技術』飯田 英明

兄とは全くの異業種だけど、兄の本棚から拝借した。

どの業種でも悩んでいることは同じっぽい。

 

『ナイフをひねれば』アンソニーホロヴィッツ

マジでこのシリーズを毎年の楽しみにしている。

今回も面白かった。

ホロヴィッツ自身が主人公なので、作家目線でしか話は語られないけど、読み終わった時には確かに謎解きのヒントはたくさん散りばめられてたな~となる。

 

ダークタワーⅢ 荒地 上巻』スティーブン・キング

主要メンバーが揃うけど、相変わらずずっと森の中を歩いている。

話が飛び飛びだったり、急に変な話が差し込まれるのでついていくのに精いっぱい。しかし、読みごたえはある。

 

『言葉の風景、哲学のレンズ』三木 那由他

2人きりの時は普通に会話するのに、3人以上いると冗談しか言ってこないやつの正体が分かった。

 

 

なんか読書メーターの方がもっと感想書いてることに気付いた。

53.「古代メキシコ展」

行きたい国は数あれど、行きたくない国もある。自分にとってそれはメキシコだ。メキシコ在住の方には申し訳ないが、日頃から発砲音が鳴り響いている印象が強く、簡単に死んでしまいそうだからだ。ドラマや映画、テレビなどから得た印象でしかないが、そもそも作られすぎていることが十分に危ない国であると物語っている。

そんなことを日々考えていると目に入ってきた文字がある

「古代メキシコ展」

国立博物館で始まった展示だ。

展示会が始まって3日目に行った。

メキシコへの想いが募りまくっていることを我ながら感じる。とはいえ今回の展示はカルテル同士が銃でドンパチしている現代のメキシコではなく古代だが、むしろ最近は古代メキシコにも興味が湧いている。それは『テスカトリポカ』(著:佐藤究)を読んでからだった。

物語は現代のメキシコでのカルテル同士の争いから始まる。敵対するカルテルに壊滅的にやられた主人公は一人逃走し、日本へとたどり着く。そこで出会った一人の外科医と共に新たな商売を始めるが……。

といった話を主軸に、それと並行して主人公が幼少期に祖母から伝え聞いた古代メキシコの伝統が語られていく。

小説の感想は面白かったというものだけに留めて詳細は省くが、結局現代も古代もメキシコは人の命が大変軽いなという印象を強く持った。特に印象的なのは古代メキシコでの生贄の捧げ方だ。まず当然生贄文化は存在する。それは祭事のためであり、その犠牲となる人は大層豪華な暮らしを与えられる。ひとつも不自由ない環境で1年間暮らしたのち、祭り当日に心臓を抜き取られる。

色々とよくわからない。

小説を読んだのはもう1、2年前なので細かいところは忘れたが、まず生贄が必要な点がよくわかってない。そしてその生贄になる人に豪華な暮らしを提供する点が非常にずるいよなと思う。死んでしまうのは決まり事項だからせめて豪華な暮らしを与えてやるよといった悪い大人たちの考え方が気に食わない。とはいえ生贄となる人は神と同一視されていたというのもあり、神を殺そうとすることになる点はどうなんだと思う。そんな気持ちを解消してくれるか知らないが「古代メキシコ展」でこの小説の舞台となった時代が見れるだろうと思い、行ってみた。

答えは一番最初に出てきた。

 

神はたくさんの犠牲を払ってきている。

よって我々人類も犠牲を払う必要がある。

だから生贄を捧げる。

 

のような説明がされていた。(かなり意訳)

展示会は全て自由に写真に撮っていいとあったので撮っておくべきだった。

いきなり求めていた答えが出てきたことに驚き、写真に収めるのを忘れていた。

とはいえ生贄文化の考え方を知ることは出来た。まずこの神とは何か。

ちなみにテスカトリポカも神である。煙を吐く壺を意味する万物の神。よくわからない。今回の展示会にも飾られていた。こっちは写真に収めた。

展示会で多くの神がいることを知った。その神々が犠牲を払ったことで我々人類は生きられている。そのため人類も犠牲を払う必要がある。

それでは各個人が少しずつ犠牲を払えばよいのでは?

なぜ一人が犠牲になるのか。

そんなときにTBSの「クレイジージャーニー」を見た。

この番組でも時たまメキシコのカルテル事情を扱っているがその時はアリを扱っていた。ミツツボアリを追っていた。

ミツツボアリとはお腹に蜜を蓄えるアリである。とはいえ全てのアリが蓄えるのではなく担当が決まっており、またその担当は生まれながらにして決まっているらしい。蜜を溜める担当となったアリは一生動かないまま仲間のためにひたすら蜜を溜めるだけ。乾燥地帯に暮らしており、他に食料もないからこの方法を選んだとされる。溜まった蜜をどうやってみんなが食すのか、その際に溜めていたアリはどうなるのかまでは解説されなかったがなんだか古代メキシコと一緒だなと思った。そこに各個人の意思はなく、種族全体で役割分担がされているという点で。

自ら蜜を担当したいという志願ではなく、生まれながらにして決まる。

古代メキシコにおいても自ら生贄になるという志願ではなく周囲から決められる。

ある意味生物的に正しい行動だったのかもしれない。

しかしだ、しばしば古代メキシコで語られるのはとてつもなく学問が発達している点である。天体観測によって季節の変遷を予測し、農作物を適切に育てることができる。こんなことが出来るなら各個人の心の機微も読み取れないのか。死にたくないなという気持ち。動物や植物がお互いにコミュニケーションを取り合っているのかどうかは分からないけど、少なくとも人間は出来る。一人が死ぬことで問題なしとなる文化はおかしいだろと提言できるのではと思う。古代メキシコでどの程度コミュニケーションが発達していたのかは分からないけど、ある程度会話出来ないと天文学の発達もなかったのではとも思う。

だが、ここで思うのは、人の気持ちは観測出来ないということだ。

ただでさえ自分の気持ちや考えを正確に伝えるのは難しい。だから現代日本においても認識齟齬という言葉が横行している。なのでこんなことを思った。

 

観測できる事象には学問が育ち、観測できない事象には神が宿る。

 

天体も日夜観測していると規則性が分かって共通点が見えてくる。そこから仮説を立てられ検証し、より理解を深められる。そうして一つの学問が育っていく。

一方、そもそも人間とは何か、何者が生み出したのか。また命を脅かしてくる自然災害や生物、ときには別の人間たち。なぜ命を奪いに来るのか分からない。そういった観測できない事象に人々は恐れをなす。その恐怖を生み出さないために神が現れ、儀式が生まれる。儀式は伝統となり、伝統とは形を変えて引き継がれていく。そうして出来上がった儀式は、大変複雑な工程を踏まえて神に捧げる祭事となる。一つ一つの行動に何の意味があるのか。しかしながらその行動で心安らぐこともある。なので引き続き行われていく。ここまでくると現代も同じようなことをしていると感じる。必死に勉強した挙句、最後に神社に行って神頼みするみたいな。犠牲じゃないけどお金を献上して願うという意味で。

違う話になったので最後に印象に残った展示を述べる。

古代メキシコ展では一番最初にドクロが迎えてくれる。

リアル人骨にビビるも、その目の部分に白い石?のようなものが埋め込まれ、さらにその石の中央に茶色い木の実がくっついている。目の窪みの上部は八の字になっており、なんだか困り顔のように見えて段々と愛着が湧いてくる。その次は刃物が展示され、ドクロと同様に目のような飾りがあり、更にギザギザの歯も着いている。2連続で展示物の虜になる。ほかにもベロを出したドクロだったり、今でも売れそうなプラスチック製の猿の容器となんだか可愛いなと思う展示ばかりだった。

あとなんか大人サイズのプロレスラーみたいな鳥人間の像もあった。

52.「2022年前半に読んだ本」

2022年は開幕から絶不調だった。

中学野球部の時にコーチから「調子を聞かれたらいつでも絶好調ですと答えとけ。起用されるから」と言われて以来、基本体調悪くても絶好調ですと答えてきたけれど、この頃は開口一番「しんどい」と答えるようになった。ある意味15年近く経って本音を言えるようになったかもしれない。呪縛は解かれた。

しんどいのは仕事が大変だったせいだけど、加えて職場の人間関係もよろしくなかったから体力面・精神面どちらも非常に危機的状況に陥っていたような気がする。

というか仕事の進め方からよくなかった。

そのころの職場はメールしかなく、週3の在宅勤務中で他の人に質問したいときには、初めに「申し訳ありません」と一言添えて長文で質問メールを送っていた。この始まりの「申し訳ありません」がメンタルに悪影響を及ぼしていたと思う。まるで質問が悪いみたいな感じで。リーダーポジションの人が質問のたびにそうしていたから倣っていたけども、真似するべきではなかった。しかし、「申し訳ありません」と付けることが習慣化されていて今更やめられなかった。仕事を進める上で各方面にいろんな確認が発生するけど、その確認はリーダーを通じて行う。リーダーはその確認も本当に申し訳なさそうにメールを送る。リーダーにとってメール文面の「申し訳ありません」は本心で謝罪の意が込められているらしい。あなたが現在行っている仕事を中断させ、こちらの質問のために時間を割くというお手数をおかけして、誠に申し訳ありません、的な。この精神は大事ではあるけど、リーダーからこちらへの質問メールにもその意は込められている。同じチームだし仕事の範疇だろうからもう少し気軽に質問してほしい。そしてこちらも気軽に質問したかった。ある意味非協力的な態度ともいえる。他人に迷惑かけたくないという信条が少しばかり逸脱しているのではないか。そんなモヤモヤが鬱憤として累積していった。

もとよりリーダーに提言すればよかった。もっとフランクにやりましょうよ、と。しかし、こちらの社交性が欠如しているので言わなかった。これもこれで非協力的な態度だった。言わない結果、苦しんでいる。非常に良くない。次第に仕事に追われるようになり、そんなことも考えなくなった。

休日はもう何もしたくないなと言う気持ちでいっぱいだった。

映画を予約してもすっぽかすみたいなのを月に5~6回してたし、仕事中に眠気覚ましでコーヒーを飲むと、昼頃にはお腹を下す音がめちゃくちゃ聞こえてきて午後は頻繁にトイレに行った。

そんな状態だと映画やドラマもしんどい話が見れなくなっていた。社会派の作品やシリアスな作品、時系列ぐちゃゃぐちゃな作品よりも単純明快な話を主に見ていた。

一方、本はそもそも読む気すら湧かなくなった。だから昨年末から読み進めていた本を1月2週目ぐらいに読んだ後、次に1冊読み終えたのは3月だった。

 

■『テスカトリポカ』佐藤究

昨年末から呼んでいた本。

メキシコのカルテルのボスだった男が襲撃に遭って命からがら逃げのび、なんやかんやあって川崎で子どもの心臓売買を始める話。またその心臓売買にいろんな形で関わってしまう人を描いた群像劇。

冒頭のエピソードから衝撃的だった。このままメキシコにいると、やがてカルテルに見つかりクスリの売人をやらされる未来が待っている。なので壁を越えてアメリカへ向かったり、南下してそのまま海を渡り海外へと逃亡する。しかし、国境は警備員が守っているし、安全なルートを知っているという人と知り合っても結局そいつはカルテルの一員で殺されてしまう。また国外へと逃げ延びても正規の仕事は見つからず、怪しい仕事に手を出して仕舞にはクスリに手を出してしまう。クスリの売人が嫌だから逃げたのにクスリに手を染めてしまうという皮肉が最悪だった。

カルテルのボスが襲撃から逃げ延びる様子も最悪だった。道すがら会う人会う人殺しまくっていた。自分のことを認識した者はいずれ追手に脅迫され存在をバラすだろうという判断で。だから車を手配してくれた部下も、たまたま通りかかった家族もみんな死んでった。変にキャラに愛着沸かせたうえで死ぬようなことはなく、淡々と人殺しが行われていくのであまりそこまで思いをはせることは無く、ストレス抱えまくっていた時に読むにはちょうどよかったかもしれない。

「鎌倉殿の13人」はキャラに愛着沸かせたらそれが死亡フラグとなって死んでいくから割としんどい。昨日まで味方だったヤツも殺さざるを得なくなるからやばい。

テスカトリポカで一番愛着湧いたのは10代の少年コシモだった。実質主人公格。コシモは学校に行っていないため読み書きが出来ない。しかし、有り余るパワーによって罪を犯し、少年院へ入る。少年院では工作の才能が花開き、出所後はある工房で働くことになる。その工房では包丁を作っている。その作り方を真摯に学ぶコシモの姿が良かった。しかし、この工房はすでに川崎に逃げてきたカルテルのボスと関係を持っていて、コシモがやがて心臓売買と関わってしまうことが確定しているというのが中々しんどかった。

終盤、やや駆け足気味で急に終わった感はあったけど面白かった。

 

■『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー

面白いとの評判が流れてきたので読んだ。面白かった。

目覚めたら真っ白な部屋。そして自分自身が何者なのか忘れ、過去の記憶すらない。

なんとなくデスゲーム系でよくありそうなシーンから始まる。

しかしそこから、そもそも部屋の重力が地球のそれではないのでは?と思い、測定作業を始めていく。なぜ測定が可能なのか、それは高校で科学の教師をやっていたからだ。と、ちょっとしたことから過去の記憶を取り戻し、思い出した科学の知識を使って部屋の謎を解いていく。この過程が面白かった。ただ理不尽な展開が起こるのではなくて、自分の知識を使っていく。すごく学生時代にもっと勉強しとけばなと思ったし、また今からでも勉強したくなった。

中盤でジャンルが様変わりするけどそこからも面白かった。

ひたすら絶望的な状況だけど、常に前向きな主人公の姿勢もよかった。

 

■『平家物語 犬王の巻』古川日出男

200ページぐらいで短く、淡々と犬王の歴史が描かれていく。

変にドラマチックに描いているのではなく、あくまで淡々としていたのが良かった。映画では主人公2人が成り上がっていくまでの道中を楽しく描いてほしく、またクライマックスは変に感情的なものではない方がいいなと思ったけど、違った。

 

■『ブリーディング・エッジ』トマス・ピンチョン

911が起きたある2001年春から翌年の春まで、その1年間を描いた話。

難しかった。

場面転換が激しく、すぐに話を見失う。

知識量が多く、よくこんな話を書けるなって感じ。

この本読んで以降、他の本が凄くわかりやすいなと感動した。

何度か読まないとこの本で描かれていることが掴めない

 

■『熱帯』森見登美彦

熱帯という誰も結末まで覚えていない本の謎を巡る話。

実験的な小説だった。実験的過ぎて、構造は面白いけど、この構造で他に面白くできそうな方法がありそうな感じ。

この作者の映画やアニメの方は好きだけど、原作はあまり好きじゃないことが多い。有頂天家族と夜行は良かった。

 

■『怪物』東山彰良

始めにこの物語は夢オチであると宣言される。

夢オチという構造面に新たなものをもたらした作品かと思ったら違った。

遠く離れていても元気にやってほしいみたいな愛が描かれた作品だった。

あんま面白くなかった。

 

■『IT(1)』スティーブン・キング

リメイク映画が公開されたときに1回読んだけど、怖くて2巻途中でやめた。

改めて1巻から読み始めた。全4巻で1巻500ページ、総2000ページぐらい。

本を開けば文字でびっしり埋まっている。文字に溺れる感じ。

改めて読んでみて、ペニーワイズも怖いけど、人間同士で行われる暴力描写の方がやばかった。全てを描写してくる勢いなので想像がしやすい分、例えば殴られるときも具体的にどこにどんな一撃が与えられ、どうダメージを負ったのかが分かりやすく描写されるので痛々しすぎる。また暴力に至るまでのフリも長いので、早く殴ってくれよとなる。実際殴るシーンになってからも嫌な描写ばかり続くので、読んでいて疲れる。

 

■『ハケンアニメ!」辻村深月

映画が面白かったから読んだ。映画はうまくまとめたんだなって感じ。

小説も面白かったけど、なんかどうすることも出来ない絶望感が足りないなと感じた。

結局しんどい小説ばかり読んでいたのでエンタメ系を読みたくなったから読み始めたのに、絶望感に飢えてしまった。

小説は面白かったけど、悪い意味でスラスラと読み進められた感じ。絶望が欲しい

みんないいキャラだった。

 

4月からは異動となり、だいぶ色々と落ち着いてきた気がする。

やり取りはメールからチャットになり、質問もしやすくなった。

やはりツールによる影響も大きいことが分かった。BTSも言ってた通り、構造というか側がメンタルに影響を与えている側面もある。

お腹の調子もヤクルト1000を飲んでからマジで改善された。

今季初めて扇風機を使用したある日の夜、夜中ずっと回していたら突如としてお腹からグルグルと音がした。扇風機を回すと同時に布団も閉まってタオルケットのみにしたこともあって、お腹を冷やしてしまった。その日の夜はトイレにずっと籠ることを覚悟した。

しかし、なんとか耐えきった。3月までなら確実にダメだったがヤクルト1000のおかげで冷えにも耐えきる腸に仕上がった。

最高だった。半日もの間下痢に苦しんでいた時が嘘のようだった。ヤクルトに感謝である。

一方、ヤクルト1000は結構な砂糖が使われているみたいな話もあるし、腸内環境も改善されたことが実感出来たので解約しようとした。しかし、家に来るヤクルトレディの方が大幸さんのため、中々解約できずにいる。幸せを手放してしまいそうで。ヤクルト1000の無料配布が終わって契約するかしないか迷っていた時もヤクルトレディが大幸さんという苗字だから契約したようなもんだし。

ヤクルト1000を飲んでいる人に辞め時を質問するしかない。

51.「007 NO TIME TO DIE:ボンドも喉乾きすぎ」

どうやらジェームズ・ボンドは無類の酒好きらしい。

「007 NO TIME TO DIE」で気になったのはとにかく飲酒シーンが多いことだった。

調べたらイギリスの学者がボンドはアルコール中毒だという論文を発表していた。それにしたって多い。あまりにも気になって何かしら意味があると思い、飲酒シーンの有無および飲酒行為が有る場合にどういったことが描かれたかだけを注目した。その結果「乾杯の有無で関係性を表している」という仮説を思いついた。しかし、この仮説は中盤あたりに思いついたため、前半部分が当てはまるのかどうか、改めてカジノ・ロワイヤルからスペクターを視聴してから再度劇場へと向かった。やはり過去作でも飲酒シーンはあるけど本作ほどではなかったので本作における飲酒シーンの意味を考えてみる。

以下、ウィキペディアほどではないけど飲酒シーン周りのあらすじを記載しまくり。

ただ、所詮2回見た記憶だけを頼りにしているためあまり正確ではない。

 

■ジャマイカのとあるクラブ

なんやかんやあって007を引退して5年、ジャマイカで隠居生活をしているボンドは、とある車に尾行されていることに気付く。運転手を確かめるとそれは旧友であるCIAのフィリックスだった。フィリックスは国務省の役人ローガン・アッシュを引き連れ、ボンドにとある仕事を持ち掛けてきた。どこか内密に話せる場所はないかと聞かれたボンドは騒がしいクラブを提案する。クラブ内でカードゲームを楽しむボンドとフィリックス。その様子を見ながら①アッシュはハイネケンを瓶から直接飲む。フィリックスとのカードゲームが決着し、②ボンドは瓶に入ったハイネケンを飲み干す。机の上にある瓶やコップは空の模様(たぶん)。ボンドは酒を注文するため席を立つ。店員にスコッチを注文するボンド。そこにフィリックスもやってくる。アッシュは信用できる人間かフィリックスに尋ねながら、③ボンドはグラスに注がれたスコッチを飲む。

 

■ジャマイカのボンド宅

結局ボンドはフィリックスの仕事の依頼を断った。クラブから帰宅しようとするも車のエンジンがかからない。どうしようか考えていると、クラブ内でやたら目の合った女性がバイクに乗って通りがかる。ボンドは女性の乗るバイクに相乗りし、自宅へと送ってもらうことに。女性と共にボンド宅へ入ると④ボンドは2つのコップにウイスキーを注ぐ。しかし、女性は颯爽と寝室へ向かったため、手にした1杯を飲み干して追いかける。寝室につくと女性はおもむろにカツラを脱いで実は新007であることを告白する。⑤ボンドは自分のためだけにグラスにウイスキーを注いで飲む。翌日、ボンドはフィリックスに電話をして、依頼された仕事を引き受けると告げる。

 

キューバパロマと待ち合わせ

フィリックスの依頼は、過去4作全ての黒幕であるスペクター一味のパーティに潜入して誘拐された細菌学者オブルチェフを助けることだった。現地でCIAの新人パロマと落ち合うボンド。ボンドと会ったパロマは手にしていた飲み物(瓶?にストローが差してある)を飲み干す。任務の軽い打ち合わせを行った後、⑦2人は「フィリックスに」と乾杯して飲み干す。なんやかんやあってスペクター陣営との戦闘が始まる。⑧ボンドは、ウェイターが運ぶグラスに注がれたドリンクを手に取って飲み干す。敵を一掃後、⑨ボンドはパロマと自分用にグラスに酒を注ぎ、2人で乾杯して飲み干す。

 

■MI6本部

なんやかんやあってボンドはMI6本部に5年ぶりに戻ってくる。元上司的なMにある話を聞くためで、本作の敵は細菌兵器をあるシステムによってばら撒こうとしており、そのシステムは元々Mが携わっている的な感じだったからだ。あまり覚えていない。とにかくボンドは話を聞こうとするが、Mはちゃんと答えない。⑩Mはウイスキーを2回、グラスに注ぎ、どちらも飲み干す(2回目は飲み干したか定かではない)。ボンドは「喉が渇いているようだな」と告げる。

 

■Qの自宅

ボンドは調査依頼をすべく、Mの秘書でありスカイフォールでは任務を共にしたマネーペニーと共に、MI6の兵器開発担当であるQの自宅へ向かう。Qに調査を頼んだ後、⑪ボンドはワインを手に取り、ワイングラスにたんまりと入れてマネーペニーへと渡す。自分用にも注いでいる模様。だが両者とも口にはしてないっぽい(確か)

 

サフィンのアジト

マドレーヌがサフィンのアジトに幽閉されている。

マドレーヌとは映画冒頭でボンドとのバカンスを楽しんだ本作に鍵となる女性。サフィンは本作の敵。マドレーヌの幼少期からサフィンとは因縁がある。⑫マドレーヌは、サフィンの部下に毒草が入った飲み物を用意され、自ら飲めと言われる。マドレーヌはそれを部下の顔にぶっかけて、逃走する。

 

■MI6本部、全員集合

⑬MI6のメンバーが献杯する。

 

作中において飲む行為は11回、飲まない行為は2回、計13回描かれていた。

 

「乾杯の有無で関係性を表している」という仮説を詳細に説明すると、乾杯をしている場合は信頼関係がある。一方、乾杯せず一人だけ何かしらを飲む(飲まされる)場合は敵対関係で、例え同じ組織内であっても嘘を抱えていると乾杯していないというもの。まさにボンドとMが初めて対峙するシーンでは、Mが秘密を抱えているためMしか飲んでいない。(⑩)また、ボンドが新007のノーミとボンド宅で対面するシーンでも、ノーミは変装していたことを隠していた。(⑤)

 

仮説の立証を目的に2回目を見る際、特に注目していたのは以下の2点だった。

1.ボンドはマドレーヌと乾杯するか

007を引退後、マドレーヌとバカンスを楽しむボンド。しかし、その平穏はスペクター軍団の襲来によって崩される。マドレーヌは1,2,4作目に出てきたスペクターの一員であるミスターホワイトの娘であり、いまだにスペクターと繋がりがあって手引きしたのではないかとボンドは怪しむ。マドレーヌは否定するものの結局別れ、5年が経つ。

中盤、スペクターのボスであるブロフェルドにもマドレーヌの関与は否定されるため、繋がりは無いのだろう。しかし、バカンスシーンでもし乾杯してなければ、仮説に伴いマドレーヌは手引きしていたと暗に示していたことになる。それを確認したかった。

本心としては、乾杯していてほしい。最終作にとんでもないものをぶち込んでこないでほしい。

 

2.クラブシーンでフィリックスとは乾杯し、アッシュとは乾杯しない

ボンドが007を引退して久しぶりに仕事の依頼を受けるシーン。テーブル席で3人で話した後、ボンドとフィリックスがカウンターで話していたことは覚えていたので、ここでフィリックスと乾杯しているだろうと予想していた。

中盤、フィリックスは本当に仲間であり、アッシュは裏切り者であることが分かる。それを乾杯で匂わせているのではないかと思った。

ただ、今これを書いている時点で仮説が成り立ってないことに気付いた。「秘密が暴かれる場合は味方であっても乾杯しない」というのは、その場限りの関係性を表している演出であり、「アッシュと乾杯しないことが後々裏切ることを表している」というのは、伏線としての演出だった。

そのシーンにおける関係性を表した演出なのか、後の展開を表す演出なのか定義がそもそも曖昧だった。

 

案の定、2回目鑑賞後、仮説は全然成り立っていないと分かった。

マドレーヌとは乾杯はおろか飲食もせず、クラブシーンでは乾杯はないもののアッシュとボンドが飲んでいた。また、そもそも乾杯シーンが全3回しかない。よくわかんない状態に陥った。

 

飲み物が出るシーンは上述した通り、ほぼ全部書き出したので改めて意味を考えてみる。

 

まず、乾杯シーンに意味はあるのか。

全3回の内、2回(⑦⑬)ではそれぞれ作中のとある人物に捧げられている。そしてその2名とも作中で亡くなっている。⑨の乾杯もスペクターの一味を銃殺した後の乾杯のため、強引に解釈すれば亡くなる人、亡くなった人に向けて乾杯がされている。

まあ⑨は戦闘が一段落したことを祝っての乾杯だろうからたぶん違うけど

 

初見時、ボンドがMに向かって「喉が渇いているようだな」という発言に笑った。散々ボンドの方が飲んでいたのに偉そうだなと言う感じ。ただこのセリフが割と飲む行為の意味を考える上でヒントになった。⑩のシーンでMは緊張しているのだろう。それを隠すために2回も飲み干し、ボンドもそれを指摘する。よって、この映画では緊張している人が飲んでいる気がする。

①のアッシュは秘密の計画を隠し持っているため緊張しているし、②③のボンドは久しぶりの旧友と会って緊張しているのかもしれない。④も5年ぶりだからか緊張しているんだろう。⑤はびっくりして緊張しているのかも。⑥パロマは当然初任務のため緊張しているし、⑦~⑨は久しぶりの戦闘であるボンドは緊張しているし、パロマもド緊張だろう。⑩Mは当然緊張している。ここで「喉が渇いているようだな」が出てくる。このセリフを皮切りに飲む行為は減る。⑪でもワイングラスを片手にしているが、のんではいない(はず)。ボンドも久しぶりの任務を終えて割とリラックス状態になっているからか飲んでいないのかも。⑫もある意味緊張状態ではあるが、そもそも毒が入っているため飲むわけにはいかない。⑬は緊張とか関係ない。

「喉が渇いているようだな」というのは、ここまでの飲酒シーンはどれも緊張故に飲んでいたことを示し、それを提示したことで以降は関係ないよということも表しているのかもしれない。

もうわからない。

 

兎にも角にもキューバでどうしてあんなに飲むのか。過去25作のどっかからの引用なんだろうか。乾杯の有無が関係性を表していてほしかったという勝手な願望が未だ消えない。もしその演出の意図があれば、作為的でフィクションだけどリアルじゃないというよくわからない気持ちは持つかもしれないけど、作品を読み解く上でもいいヒントになるんじゃないかとは思った。でも作品を読み解く上でこういった演出の共通点を見つけるのは違うのかも。キャラに寄り添えてない感じ。キャラを記号化して人間味が薄れるかもしれない。創作時でも、鑑賞時でも、脚本の都合で動かされている印象が強まるかもしれない。キューバの戦闘ではとにかくたくさん飲酒がしたかったんだろう。中々美味いと思える酒が飲めていなかったからかもしれない。

そういえばボンドは女性には酒は注ぐけど男性には注いでなかった。Qに注いでいた可能性はあるけど覚えていない。Qの自宅のワインを飲んでいいかという確認を取ってないようにも思える。勝手にワインを飲むし、Qの分は用意してない・・・?

ボンドもMも相手に飲むかどうか聞かないのかと思った記憶。マネーペニーには聞いていた気がする。分析するにしてもまだ材料が足りてない気がしてきた。

お酒の種類も詳しく知った方がいい気がするし、イギリスでグラスに注ぐ行為に何か意味があるのかも調べた方がいいかもしれない。最近、批評に関する本(https://www.amazon.co.jp/dp/B09G35TPSZ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)

を読んだから真似してやろうとしたけれど、やはりこの本にもある通り、というか当たり前だけどドコトン調べ尽くしてから書いた方がよかった。

でも、この作品についてはもういいかなという気持ちが強いから終わりにする。

気持ちの問題ではなく、とことん調べるクセを付けた方がいいと思うけど。

そんな酒飲むな!

50.「通勤風景」

1.

 会社の最寄り駅の改札はショッピングセンターに直結していて、そこを抜けると大通りに出る。その大通りには街路樹が立ち並ぶ。街路樹の種類はベニバナトチノキといって葉はモミジのように手のひら状に茂る落葉樹で、花はその名の通り紅色で1つの枝に四方八方といくつも咲いている。花が咲く枝は天に向かって伸びているため、緑の中から突然赤い棒が伸びていて、まるで木に潜む天狗が鼻だけ出しているように見えたり、木が燃え上がっているようにも見える。5~6月が花の咲き頃で、これを過ぎると果実が生る。その果実を目当てに鳥が集まってくる。この時期になると注意して歩く必要がある。なぜならこの果実を食い荒らした鳥のふんが大量に散らばっているからだ。

 この大通りは片側1車線ではあるが朝から交通量が多く、信号の手前には喫茶店や本屋などが並び、信号を渡ると中層ビルが林立している。そのため人通りも多い。自社へ行くには信号を渡り、大通りに沿って左へと2~3分ほど歩く。この2~3分の道に大量にそれが落ちている。そして、落ちてくる。

 この道の途中にはちょっとした広場があり、そこには一段と大きな木が植えられている。葉は空を覆うように生い茂っている。どうやらこの木に鳥たちが巣を構えているようで、日が沈む頃に通ると、鳥の鳴き声が鳴り響き、この木へと集まってくる。この時間帯はあまり空から何かが落ちてくる心配はない。問題は朝である。鳥の活動はどうやら日の出に始まり、日の入りで終わるみたいで、そして最初の活動がまさにまき散らす行為のようだ。正直、乾いた状態のものならばそこまで気にしないが、出勤時は割と生乾き状態、もしくは新鮮なものもあるため、この道を通る人はみな、下を見ながら歩いている。坂本九の歌を聞きながらこの道を歩いてしまうと、きっと後で更に泣くことになる。

 問題はこれだけではない。鳥の中にも人間と同じく朝に弱いやつがいるらしく、そういったやつがちょうど通勤時間帯にまき散らしてくる。よって、鳴き声や羽音が聞こえたら上を見る必要がある。なんあら昼頃であっても頭に喰らった人を見たことがあるので、常に注意深くいる必要がある。

 日頃、通勤時には雨に降られたくないものである。しかし、この道を知っている人にとっては喜ばしいものでもある。全て洗い流してくれるからだ。大雨の翌日には、きれいさっぱりとしている。普段、果実の赤みが残った白色の汚れで隠されていた石畳のきれいな紋様が見えてくる。

 通勤して間もないころは若干の嫌悪感があったものの、前の人がべっちょりと踏んだことを確認したり、本当は土に運ばれたいところをコンクリの上に運ばれて目的を達成できなかった果実に思いを馳せたり、季節の変わり目もわかるようになったりと徐々にこうした風景を楽しめるようにになってきた。

中でも多くの人が下を見ながら歩いている風景がいつ見ても不思議な光景で、面白い。

 

2.

 スーツを身にまとったその男は朝から喫茶店でくつろいでいた。どうやらビジネスマンではなく学生で、午前中に面接があるため早々に足を運び準備をしていたらしい。しかし、どうにもやる気で出ないようで、コーヒーを啜りながら外の風景をぼんやりと見つめていた。すると異様な光景を見た。喫茶店の目の前の車道を挟んだ向かい側を歩く会社員がみな、下を向いて歩いているのだ。

 

 名前を込田浩二といって、広告系を志望している。理由は楽しいことをしたいから。世間をあっと言わせるようなモノづくりをしたいらしい。だが同時に働きたくないとも思っている。そんな込田は朝から下を向きながら歩く会社員たちの風景を見て一層働きたくないなと思った。と同時に邪な気持ちが浮かんだ。込田はその風景を撮影し、「みーんな下を見ながら歩いている。だから働きたくないんだよな~」というコメントと共にSNSへと投稿した。

 

3.

 今日も大量の鳥のふんを避けながら出社した杉山は、始業時間までスマホを見ていた。するとSNS上で急上昇しているトレンドがあった。それは通勤風景を映したもので、いろんな人がいろんなことをコメントしていた。その写真をよく見ると、自分らしき男が映っていた。鼓動が速くなるのを感じた。その写真を投稿したアカウントを調べると「コミタコージー」といって、トップ画は男がビーチで遊んでいる写真だった。どうやら本人だろう。杉山はその写真をまじまじと見た。

 遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。振り向くと、上司がそれなりのプリントを持って来て「これ、今日の分だから」と渡してきた。「まじすか」と言いながら受け取った。杉山は少し思い悩んだ顔でプリントを数えようとめくり始めた。途中、とあるプリントに目が留まった。

 

4.

 込田は先ほど投稿した写真が思いのほかバズッたことに喜びを隠せていなかった。これ以上、店内でニヤニヤしていると怪しまれそうだが隠すのがやっとのほどだ。最近ではSNSでバズらせた経験の有無を確認してくる企業も多く、これは大変有利になると思った。多少と言うか大いに炎上しているとは思うが、問題ないだろう。面接の時間が近づいてきたので込田は会社へと足早に向かった。

 

5.

「次の方どうぞ」と杉山が会議室の室内からドアに向かって声を出した。ドアが開く。「失礼します」と込田が部屋へ入ってきた。込田は着席し、簡単な自己紹介を終えた。杉山は怪訝そうな表情で込田を見ていた。杉山は広告代理店であるベニーロ株式会社で働いており、若手社員ながらも優秀さを買われ面接官もしている。今日は3次面接で、面接官2人に新卒1人。杉山とその先輩が面接官を担当している。ある程度面接が進んだところで杉山がスマホの写真を込田に見せながら尋ねた。

「この写真を知っていますか」

込田よりも先に先輩が口を開いた。「何この写真?」と。杉山は今日のトレンド急上昇していた写真ですと答え、込田に返答の催促をした。込田は自分が投稿した写真であることを認めた。顔を赤らめながらも鼻を高くしていて、少し自慢げだった。

杉山は話し始めた。「肖像権と言うものを考えたことはありますか。この写真には無数の人が映っています。一人ひとりから掲載の許可を取ったのでしょうか。また、この写真と共に掲載されているコメントはこの会社員の方々を揶揄しているように思われます。どのような意図で投稿したんでしょうか。お聞かせください」

込田は空気が一変して重くなったのを感じ、取り返しのつかないことをしたかもしれないと思った。どう答えようか迷ったところ、またしても口を開いたのは先輩だった。「この働きたくないなってのは本心なの?」

込田はすぐに否定した。

「だよね、だったら今日の面接も辞退するもんね」

込田は笑って肯定した。杉山が口をはさむ。

「本当ですか?では尚更どういう意図で投稿したんですか?第一、アカウントも個人情報満載ですしまるで情報リテラシーが無いように思えます。認めた際にバズらせたことを少し誇っていたようですが決して誇れるものではありませんよ」
「そうか?」

先輩が遮る。

「確かに未熟な面はあるけど炎上とはいえバズらせたことには間違いないんだし、その点は評価した方がいいだろ。情報リテラシーうんぬんはこれから育てればいいよ。」

先輩は写真を見ながらそういうと、杉山が映っていることに気付く。

「あれ、これ杉山じゃない?」

先輩と込田が杉山を見る。杉山はぶすっとして不満げである。

「馬鹿にされた気分だったからあんな質問したのか。それに遂にお前を脅かす存在かもしれないもんな。お前の投稿よりもバズってんじゃないか?だからか」

杉山は大きくため息をついて、

「いや違いますよ。でも一言だけ。僕が下を向いて歩いていたのは地面に大量の鳥のふんがあったからです。先輩だってわかるでしょ?みんなあの道は下を向いて歩いている。だから出社することが嫌ってわけじゃない。仕事はそれなりに楽しんでる。まああの道を通るのは嫌ですけどね。というかもう時間とっくに過ぎてるので終わりましょう。今日はありがとうございます」といって強引に面接を終わらせた。

込田は結果がどうなるか分からずやきもきはしたものの、無事にやり過ごせたことに安堵して部屋を退出した。先輩はしきりに杉山に本心を尋ねたが、杉山は早々に次の新卒を呼び寄せた。

 

6.

 込田はバズらせた手腕を評価され、杉山がいるベニーロ株式会社への入社が決まった。一方、杉山は込田の入社に伴い、退職することを決めた。そして杉山が退職後に始めたのは、会社の地元にある町内会の人と手を組んでベニバナトチノキの完全撤去を訴えることだった。鳥の被害が年々酷くなり、ふんの被害によって町の景観が損なわれるため街路樹を撤去しようというのが主な理由だった。杉山としては、下を向いて歩く会社員を減らして込田のような思い込みや勘違いによる決めつけバズりが生まれないようにするという狙いもあった。

この町の街路樹がベニバナトチノキとなったそもそもの発端はベニーロ株式会社の企画によるものだった。葉の緑色、幹の黄土色、花の紅色の三色を持つこの木を植えることで町をカラフルにし、また花言葉も博愛・贅沢と言うところもあって、この木を植樹して地元を活性化しようと市議会に働きかけたのが始まりだった。そのため町内会の運動はベニーロ株式会社の大きな痛手となりうるものだった。運動の内容によっては自社が鳥害を生み出した原因になりかねないからだ。入社のきっかけになったこともあって込田は町内会の訴えを取り消そうと、会社内でチームを組織し、中心メンバーとして働き始めた。しかし、その画策は失敗し、「ベニーロ株式会社がベニバナトチノキの植樹計画を立案したこと」「ベニーロ株式会社は町内会の意見を取り下げるように裏工作していたこと」が世間にリークされて炎上し、評判を落とし続けて経営難に陥った。ベニバナトチノキの木の実を食した鳥のふんによって、街の景観が汚されているということを市議会も認識していた。そのため市議会の意向としても、町民会の訴えを受け入れようとしていた。しかし、街路樹をなくすことにも異論はあるため違う木に植え替えるという案に落ち着いた。

杉山の目論見通り、ベニバナトチノキは撤去された。一方、代わりに植樹する木の選定は難航していた。どの木を植えれば鳥害に繋がることを避けられるか分からなかったからだ。また、杉山も暗躍していた。今や杉山は鳥と木への恨みが加速して、世界から両者を失くすことに奔走していた。そのため町からは街路樹がどんどん無くなるばかりだった。街路樹の跡地はコンクリートで固められ、灰色の町と化した。鳥の姿も見えなくなった。

それでも、今日もどこかから鳥の鳴き声が聞こえてくる。杉山が歩くと、たびたび鳥のふんの被害に見舞われる。鳥はすべてを見ていた。どういう人物なのかをよく観察していた。今日も鳥は、杉山を狙ってふんを投下する。それは杉山への復讐であり、また木を増やすためでもあった。かつての景色を取り戻そうと頑張っていた。

49.「夢か現実か」

夢か現実か、次第に分からなくなる作品がある。

作品とは想像の賜物ではあるけれど、その発端には色々とあって、まさしく1アイデアを思いついてそこから膨らませたものもあれば、現実にIFを加えて編み出されたり、実体験をもとに作られたものもあるだろう。

夢か現実か混同していく作品の中にも実体験から作られたものがあるはず。

ある日散髪に行ったとき、店内のラジオから長らく活動休止していたアーティストの曲が流れてた。そのアーティストに関して、熱心というわけではないけれど、いっぱしのファンではあった。しかし、そこで流れていたのは知らない曲だった。どうやら活動再開するらしいぞという噂を聞いていたため、もしかしてこれが活動再開1発目の曲かとワクワクしたが、それにしては若干ダサいなと思った。悲しい気持ちになった。

後日、ほんとに活動再開するのか調べてみると何も出てこなかった。新曲も発表していない。では、あの時かかっていた曲はなんなのか。あの日あの時あの瞬間に聞いたあの曲はあのアーティストの歌声だったはず。しかし、日が経つことに段々と自信が無くなり、次第に、もしかして夢だったのかもしれないと思い始めた。散髪するハサミのリズミカルさに心地よくなって見た夢なのかもしれない。

そういえば活動休止に入る前までの数年間に発表された曲はあまり聞いてなかったことを思い出した。もしかしたらここにあるかもしれない。そう思って聞いてみると3曲目でヒットした。あの時聞いたダサい曲だった。現実世界で起こったことだった。すでにこのアーティストから心は離れていたんだなと思った。

 

作品で描かれた出来事は果たして夢なのか現実なのかモヤモヤすることはあるけれど、この散髪での出来事はモヤモヤした。

夢であってほしかった。

夢か現実か混同したが現実と分かってモヤモヤする。

宝くじに当たったが夢だったり、告白成功したかと思ったら夢だったりと言った描写はこういった実体験から作られているのかも。例が悪いから説得力が薄い。

夢であってほしいといえばこんなのもあった。知らないおっさんが自宅にいる夢。

その日は大雨で、帰宅後すぐに傘を玄関に広げて干していた。翌日までに傘が乾いているといいなと思いながら就寝した。すると夢でも帰宅するところから始まっていた。玄関から廊下を抜けてリビングへ向かうと、確か黄緑色のTシャツに、カーボン色のチノパンを履いたおっさんがBBQか掃除をしていた気がする。「あなたは誰ですか」と尋ねると、おどおどとしていたのでそのまま家から追い出した。家にこんな人がいるのはおかしいという感覚はあった。そしてリビングの窓を開いてだだっ広いテラスへと足を踏み出し、外に出た。そこで目が起きた。

最初に確認したのは、テラスの狭さだった。あんなに広くないよなと改めて確認した。玄関へと向かい傘を見ると見事乾いていた。結構濡れていたのにもかかわらず、きれいさっぱりと乾いていたので思わず笑みがこぼれた。傘を閉じ、洗顔して歯を磨き、朝食を済ませ、身支度をした。今日は帰宅が遅くなりそうだからと戸締りを終えて玄関へと向かう。靴を履き、ドアを開ける。その瞬間、不意に思う。鍵を開ける動作をしたかと。開けてないような気がする。靴を履いてそのまま扉を開けたような記憶が頭を占める。全身から血の気が引いていくのを感じる。滝のように雑念が流れていき、鍵が開いていたかもしれないこと、及びそれによって生じる可能性のみを考えることに集中しだす。ひとまず靴を脱いで、リビングへと向かった。夢か現実か確認するために

48.「竜とそばかすの姫」トラウマとクライマックスの関係性が見えなくて

※クライマックスのネタバレをめちゃくちゃしています。

 

「竜とそばかすの姫」を見ました。

中村佳穂さんの歌がよかったです。また声優も初めてながら特に違和感なく、むしろ上手く作品世界に馴染んでいて今後もまた何かしらで見たいなと思いました。ただ疑問に思う展開やセリフが多々あり、次第にそれらが蓄積し、ノイズとなってあまり作品世界に没入出来ませんでした。その中で一番気になったのは、主人公すずが現実世界で歌えなくなった原因であるトラウマシーンと、そのトラウマを払拭するために描かれたであろうクライマックスの関係性がどうにも見えてこないことです。すずの友人であるヒロちゃんよろしく疑問を提示するのでいつか誰かから返答もらえたら。ちなみに1回しかみてないのでたぶんに間違えているかも。

 

いきなりネタバレしますが、すずはあるトラウマを抱えていることが序盤で明らかになります。それは幼少期、母と河川敷へ遊びに行ったときに起きました。河川敷ではBBQなどをしている人で賑わっている中、雨が降ってきたため、氾濫の危険からみんな急いで避難を始めます。しかし、川の中州にすずと同じく低学年ぐらいの子供が取り残され、どうすることも出来ず泣いていました。その様子に気付いたすずの母親はライフジャケットを装着し、川の流れが激しさを増しているにもかかわらず助けに行きます。「お母さん」と必死に叫ぶすず。見守るだけの他の人。このシーンは幾度か描かれ、結果的に中州に取り残された子供は救急隊員に助けられたと分かります。そして、すずの母親はたぶんそのまま川に流されてしまったんだなと想像できます。これがトラウマとなってすずは歌えなくなり、高校時代にはクラスの友達にカラオケを強要された拒否反応として嘔吐までします。すずにとって歌は母親と一緒に遊んだ大切な思い出であり、歌うことでもう母親がいないと強烈に意識してしまって歌えなくなったんだろうと思います。

 

一方、クライマックスでは父親のDVに悩まされる兄弟を助けにすずは遥々東京へと向かいます。この兄弟の関係性はトラウマを抱えた時の状況と酷似しています。

トラウマシーンでは、氾濫の危機に遭う子供と身を挺して守ろうとするすずの母親。

クライマックスでは、DVの危機に遭う弟と身を挺して守ろうとする兄。

実際、兄は弟の身代わりとして暴力を受け、その光景をすずは目撃します。すずの母親が氾濫の被害を子供に代わって受けたことを目撃するとこまで似ていることから、いてもたってもいられず東京へと向かったと思われます。ここから単純に考えると、すずは困っている人をとにかく助けたいんだろうなと考えられます。

 

すずは困っている人を助けられなかったから、次こそは助けたいと思っている説

 

こう考えると、ライブを邪魔されたにもかかわらず竜を心配した理由もわかります。竜は追われており、みんなからも非難されて困っていたからです。困っているように見えたからすずは助けなきゃいけないんじゃないかと思ったんでしょう。

しかし、これをトラウマシーンとクライマックスに当てはめると途端に成立しません。先にクライマックスから考えると、東京に着いたすずはまず弟と出会い、無事を確かめるように抱きしめます。次に現れた兄とも出会って無事を喜びます。その後、兄弟の父親が来ると、2人を庇うように抱きしめ、父親に対抗します。父親から怪我を負わされてもなお立ち向かいます。すずは、この映画で描かれる一連の体験を経て、身を挺して守れるようになったと言えます。やや危険ではありますが。とにかく、困っている2人を身を挺して守れるように成長したとすると、トラウマシーンではそれが出来なかったと言えます。であれば、すずは中州にいた子供とそれを助けに行こうとする母親の2人を助けられず悔やんでいたとなります。しかし、たぶんそうではないでしょう。まず母親は困っているようには見えません。むしろすずが困っていました。だとすればあの頃困っていたすず自身を助けたくてクライマックスのあの行動に出たのでしょうか。ちょっとよくわかりませんが。

 

 

力尽きたのでヒントを求めてパンフレットを読みました。

話は逸れますが、今回のパンフレットは声優陣やスタッフ陣のインタビューだけでなく劇中歌の歌詞もたくさん載っており、またそれぞれが場面写真と共に記載されているため、このシーンの歌かと簡単に思い出せて充実したものになっています。

 

そのパンフレットには、トラウマシーンに言及している文章も記載されていました。

パンフレットは無断転載等禁止と書かれているため、一切何も記載しません。買って読んでいただきたいです。そして読んだ暁にはここまで書いた考察は一切違うなと分かると思います。そして尚更トラウマシーンとクライマックスが繋がらない気がします。しかし、そもそも繋げる必要がないかもしれません。見方が誤っているのかも。どうなんでしょうか。繰り返しになりますが、トラウマシーンとクライマックスの状況が酷似していることからあの時何も出来なかったことにある種悩まされていた。だからこそクライマックスの行動に繋がっていくのだろうと。しかし、母親と一緒に自分も助けに行けばよかったと思っているかと言えばそうではなく、結果的に子供は助かっているし、そもそもパンフレットに書かれている内容からは全然違うんだなとなる。何が論点なのかよくわからなかったので一旦ここで終わりにします。

何かしら浮かんだら追記するかもしれません。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。